なぜ僕は東横インが好きなのか

どうして僕は「東横イン」が好きなのだろうか。
このことは、この数年間ずっと考えているのだけれど、答えが出ない。

生まれて初めて泊まった東横インがどこだったのか、今となっては全く思い出すことができない。おそらく2000年くらいに、どこかの地方都市で泊まったのが最初だったと思う。その時は、数あるビジネスホテルチェーンのうちのひとつとしか捉えていなかった。
けれどもいつの頃からか、僕の中で東横インはただのビジネスホテルではなく、特別なものになっていった。

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初めのうちは、安さと便利さ、そして安定した快適さが気に入っていたのだが、そのうち、東横イン独特の「東横イン臭さ」が好きになっていった。
この「東横イン臭さ」というのは、実際の匂いのことではなく(もちろん匂いも好きなのはいうまでもないが)、「東横インオーラ」というべきかあるいは「東横インスピリット」というべきか、あのホテルにはあそこにしかないカルチャーが存在するのだ。

たとえば「内観」。
東横インの室内には聖書などと一緒に内観に関する書籍が置かれている。
内観とは自己啓発みたいなもので、僕個人的には興味がないジャンルなのだけれど、どこに行っても内観に関する本が置かれているので気になって調べた。
そうすると、東横イン創業者の西田憲正氏が内観に傾倒しているのだということがわかった。
「なるほど、このホテルは西田さんの個性が反映されているホテルなのだ」とその時は理解した。
これだけ大きなチェーンホテルでここまで「人」を感じさせるというのは、西田氏はよほど個性の強い人なのだろう。

その個性が事件になった。
東横インがバリアフリー設備を違法に改造していた問題が明らかになり、西田氏のメディアへの対応がずいぶんと叩かれた。
もちろん違法行為を擁護するつもりは全くないが、この時の西田氏の対応を見て「なるほど」と僕は思った。東横インの魅力はこの人のこの個性にあるんだと納得がいった。

本筋から外れるが僕個人的には、西田氏の「障害者用客室つくっても、年に1人か2人しか泊まりに来なくて、結局、倉庫みたいになっているとか、ロッカー室になっているのが現実」(Wikipediaより)というコメントは、「バリアフリー」という考え方をどう捉え、どうやって皆が共有すべきかを考えるきっかけになった。
もし仮に日本が全ての人に対して「バリアフリー」な世の中になったとしたら、西田氏の考え方もひょっとしたら間違えていないんじゃないだろうか、とも考えた。

ともかく、僕が東横インを好きな理由のひとつが、西田さんの個性なのは間違いないだろう。
けれどもそれだけでこんなに東横インを好きになれるものだろうか。

実際のところ、僕は東横インに宿泊することだけでなく、東横インを建造物として見ることも好きなのだ。つまり、内観ではなく外観だ(←東横インギャグ)。
東横インの、あの統一されたデザインの外観は(デザインしてるんだかしていないんだか微妙なところも含めて)、美しいとはお世辞にもいえないが、地方にある利用客のそれほど多くない新幹線の駅前の風景に欠かせないものとして存在していると思う。
僕は建築関係にはうといので評価する言葉を持たないが、地方都市で東横インを見ると「ああ、ここも日本だな」と安心感を覚える。

ここで問題になってくるのが、「東横インに泊まってしまうと東横インが見られない」というジレンマである。
東横イン好きの人にならわかってもらえると思うが、これはいかんともし難い事象である。

ただ、この問題をひとつ解決できる都市がある。神奈川県平塚市だ。
まあまずはこのストリートビューをご覧いただきい。

大きな地図で見る

駅前などで、近所に東横インが2軒以上存在する場所はあるが、離れていたり近すぎたりで、東横インに泊まりながら東横インを眺められる場所がないのだ。
あちこち調べたが、一番理想的なのがこの平塚だ。
ただ、僕は東京に住んでおり、平塚は十分日帰りできる距離なので、なかなか宿泊するに至っていない。
もうすぐ東横インの会員ポイントがたまって無料宿泊ができるので、その際は行って見ようと思う。

さて、僕は「東横インという建物」も好きだということもわかったが、それでもまだ僕がどうして東横インを好きなのかの全てを見いだし切れていないように思う。
それが一番よく現れているのが、この僕自身によるツイートだ。

どういったタイミングでこのツイートをしたかは覚えていないが、これはもう好きを通り越しているな、と自分でも思う。
なぜ僕は東横インを好きなのか、やっぱりわからないのだ。

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