今日は2本なのだ。
シャウエッセンが2本なのである。
うれしい日だ。
それはお弁当の話である。
先日も書いたが、時々お弁当を作っている。
そのお弁当、普段ならシャウエッセンは1本だけである。
おかずの量としてはシャウエッセンは1本で足りるし、なによりもシャウエッセンは高価であるためシャウエッセンは1本だけ入れることにしている。
しかし、他のおかずとの配分や賞味期限、誘惑に打ち勝てない心の弱さなどの理由から2本入れる日がある。
そうすると、その日は朝から気分がいい。
「今日は2本だ!」
という心おどる気持ちがお昼まで持続するし、食後も2本食ったぞという満足感が続く。
先日の記事に、冷凍食品をただ詰めただけの弁当にもかかわらず
食べる時点になるときちんと手作り感が出てくるのがおもしろい。
自分で作った弁当という感じがするのである。
と書いた。
これはなぜなのだろうとずっと考えているのだけれど、シャウエッセンを2本入れるとうれしいことと関係があるのだろうなという気がする。
朝、自分用のお弁当を作り、それを鞄にしまったり、あるいは机の隅に置いておいたりしてお昼時を待つ。
お昼になったらそのお弁当を食べる。
お弁当を作っても、その時には食べない。
あたりまえだけど、弁当とはそういうものだ。
作ってから食べるまで時間があく。
本来、食事を作るのは食欲を満たすためだ。
一方、お弁当は将来発生するであろう欲望を満たすための準備である。
これは、動物としてかなり高度なことをしているのだと思う。
お弁当を作ってから食べるまでのその間に、食欲は少しずつ大きくなり、空腹感が自分を支配する。
けれども、その欲望を満たす準備は整っている。
この事実が僕の心のどこかを鼓舞するのだろう。
自作のお弁当がある日特有の静かな興奮の正体はこれだろうと思っている。
自分で調理らしい調理はしていないのに、コンビニ弁当を買うのとは違うよろこびがある理由はそんなところにあるのではないか。
自分が後で食べるために作る弁当と、自分のためじゃない弁当を作る時の違いについてはまたいずれ。