さじ加減

毎日のようにAmazonで買い物をしているので、私の行動のある部分は、もしかすると実はAmazonに乗っ取られているのではないかというようにすら思うことがある。
そんななかでもこれはちょっと一線を越えたなと思う出来事の話です。

私は茶さじを探していた。
どうも体質的にカフェインに対して弱いようで、15時くらいを過ぎて緑茶やコーヒーを飲むと、夜に眠れなくなる。
それでも何かしら飲み物が欲しく、しかし昼間から酒を飲むわけにもいかないので、いや飲んでも構わないのだが仕事にならなくなるので、何種類かのお茶を飲み分けている。
朝お目覚め用の玉露、昼食後に飲む手頃な緑茶、夕食後の番茶。
それぞれのお茶は茶筒やガラス製の保存容器に入れているのだけれど、茶さじがひとつしかなく、都度出し入れするのが不便だったので買おうと思い、探していたのだ。

茶さじのように、余暇とかリラックスとかそういう心もちにかかわる類のものは、質感など実際に見て購入したいと思い、けれどもそんなに高価なものは必要ないので、お茶屋さんや食器の店にわざわざ出向くのではなく、ダイソーとかホームセンターとかそういったところで探していたんだけれど、意外に取り扱っているところが少なく、これは若者のお茶離れが原因かもしれぬななどと思いつつ、見当たらないのでAmazonを頼ることにした。

スマホのAmazonアプリを開き、検索窓に“茶さじ”と入力し、シンプルで機能的、かつお安いものをくるくると探す。
よさそうなものをクリックし、ふむふむ、もうちょっと気の利いたのがいいな、こちらもおすすめか、見てみよう……。

と、いくつかレコメンドを巡っているうち、イメージしていたものに近いのを見つけた。
これにしようかと思ったところ、すこしおかしなことがあるのに気づいた。

なぜ、茶さじにチェーンが付いているのか。
チェーンは茶さじに必要ないのではないでしょうか。

そう思い、よく見ると
いや、これは茶さじではない。
靴べらだ。

どういうアルゴリズムで茶さじから靴べらにレコメンドが変化したのかわからない。が、気づくと私は靴べらを見せられていたのだ。

そして、ひょっとすると私は靴べらが欲しいのではないかという気がしてきた。
もし今この靴べらを買えば、靴も履けるし茶葉もすくえる。
茶さじを買うよりも得なのではないか。


そういう思いがよぎる。

だが、このよぎった思いにそのまま従うと、私の意思の存在は、瞬間に崩壊してしまうのではないか。

まさに熱帯雨林のそれのような、生命体としてのAmazonの旺盛な繁殖力に、私は飲み込まれてしまうのではないか。
そして、茶葉は靴べらですくってもよいのか。

タイトルとURLをコピーしました