最後の授業

僕は2022年2月1日に開講した『小田嶋隆【書きはじめるための大いなる助走】』というWEB講座を受講した。

最後の講義は3月29日だった。

毎回の講義は、小田嶋さんらしい最高にクールな皮肉が次々に放たれ、その中に小田嶋さんらしい大きな優しさがチラッと姿を見せ、小田嶋さんらしい精緻な分析と的確なアドバイスがあった。

講義の課題として小田嶋さんにコラムを提出し、講評をいただく(!)ということになっていたのだが、残念ながら小田嶋さんの体調が思わしくなく、そのままとなってしまった。

小田嶋さんに提出し、読んでいただけなかったコラムを読み返してみた。

いくら書こうと思っても、小田嶋さんに読んでいただくと思うとキーを打つ手が止まってしまい、結局締切ギリギリになってしまった。

それでも、自分では精いっぱい書いたので、よければ読んでください。


コロナ

工藤考浩

“ポディチブ”と4歳の息子が言う。
「ポジティブ」ではなく、ポディチブと。
「先生は考えがポディチブだから遊んでて楽しいんだよねー」と自分のクラス担任を評しており、それを聞く限りにおいて、意味はおおむね正しく理解している様子だ。
いつも見ているテレビ番組の主題歌にポジティブという歌詞が出てきて、それで聞き覚えた言葉のようだが、であれば正しい音で記憶してもよさそうなのになぜかポディチブなのだ。
息子のポディチブという発音を聞いているうちに、なんだかその方がよりポジティブな響きのような気がしてきて、いつのまにかポディがチブチブしてきたり、あるいはチブがポディポディしてきたり、ともかく面白がって家族みんなでポディチブポディチブと言っていたのだが、先日、ついに私はポディチブになってしまった。
コロナの検査が陽性だったのである。

最初の検査は自宅で行った。
検査に用いたのは、テレビドラマなどで「わたし……できちゃったみたい」と不倫相手が迫るシーンで用いられる、体温計をでかくしたようなプラスチック製の抗原検査の器具で、(もっぱらラブホテルの)トイレで使われる妊娠検査薬とは違い、唾液を含ませることで試薬が反応し、観測窓に線が現れる仕組みのものだった。

私がこの手の器具を始めて目にしたのは、迫り来る不倫相手が持っていたものではなく、妻が息子の妊娠を予感したときだ。
40歳を過ぎて子供がいなかった私は、検査器の窓に陽性のラインがじわっとにじみ出ているのを目にしたとき、自分の体を流れる血液が直接喜びの感情を持ったかのように温度を上げるのを感じ、自分にもこういう人並みの情緒というものがあるのを知った。

ところが今回は、すでに私の血液は発熱によって十分に温度を上げており、情緒もへったくれもなく、朦朧としはじめた頭で陽性の線が現れたのを果たして当然と見ていた。

それからさかのぼること数日前、1月の下旬に息子の通う保育園から感染者が出て、息子が濃厚接触者に認定された。
コロナでパンクした保健所はすでに機能を停止しており、濃厚接触者の判定は保育園が行っていた。
無茶苦茶な話であるが、保育園では保育士が子供たちに歌を歌い工作を教えおもらしのパンツを交換し給食を食べさせお昼寝のお供をし一緒にダンスをしながら、濃厚接触者の判定を行っていたのだ。
先の大戦中、学童疎開の何から何まで一切を担っていたのは小学校の先生だったと聞くので、これはもうこの国の民族に染み付いてしまった作法で、持って生まれた社会構造なのだろうか。

幸いなことに、生命力の固まりである4歳児に発熱などの症状は出ず、けれどもこの状態で外出するわけにもいかないので観察期間が終わるまではネットスーパーとAmazonで生活していこうと覚悟を決めた矢先、私の体調に変化が現れた。
どうもなんか、体が、どんよりと重たいのだ。
「ああ、これはひょっとすると……」と思いつつ、気のせいだと信じ込もうとしてみたが、病は気から、病は気からと唱えるもむなしく、ついに私のわがままボディは免疫反応を著しい速度で強めていった。

その後のことはあまり詳しく記憶していないのだが、スマートフォンの写真フォルダには39.8℃を表示した体温計の液晶表示を撮影した画像が保存されており、発熱相談ダイヤルと近隣の医療機関への発信履歴が数百件残されている。

たまたま手元にあった抗原検査キットでポディチブとの結果が出たのが冒頭の話であり、その後さらに発熱を続け40℃以上になった体温で数時間あちこちに電話をかけ、なんとかPCR検査を予約、翌日指定された時刻に、タクシーに乗るのも申し訳ないので朦朧としながらも自らクルマを運転して近所の医院へ行き、PCR検査を受け、解熱剤をもらって床に伏し、「陽性でした、追って保健所から連絡がいく予定ですが、もしかするとしばらくかかるかも」と医院の事務職員から着電、テレビでは「こいつが死んだ日は酒がうまいだろうな」と思っていた政治家が死んだというニュースが流れ、しかしちょっぴりだけ死に近いところにいる今の俺にはそんな人物の死ですら心を波立たせ、そして波立たされたのがどうにも悔しく、その翌日ようやくスマートフォンのショートメッセージに保健所を名乗る者から「俺らはお前に何もしてやれない、自分で何とかしろ。食い物と酸素濃度計は欲しけりゃそのうち届けてやる」という内容の文言が届いたものの、ところがそれを希望する旨を伝えるためのURLなどは記されておらず、そうなると何としても申込んでやるぞとネットスキルを駆使して検索し探し当て、数日後レトルトの大盛りミートソースとスパゲッティ1kg、レトルトの大盛りカレーとバックご飯、鮭ふりかけとインスタントみそ汁、缶詰、各種カップラーメンなどが入った段ボールが玄関前に置かれた。

玄関前に食料が置かれるなんてどこぞの昔話のようだなと思いながら、その頃は体調も戻りつつあったので、百合子さまからのお恵みとありがたくいただいた。ちなみに段ボールの中に、緑のたぬきは入っていなかった。赤いきつねが入っていた。

その後、日常生活に支障がないレベルまで体調が回復すると、あることに気づいた。
「俺、もしかしてスターマリオ状態じゃない?」
そう、2020年の正月明け以来、コロナに怯え、あるいはコロナに罹患してしまった後の社会からの仕打ちに怯えていたが、その恐怖から逃れることができたのだ。

だって、もう罹っちゃったんだもんねー。

免疫を獲得した以上、コロナ禍以来避けてきた焼き鳥屋やモツ焼き屋、立ち飲み屋、串揚げ屋など、ありとあらゆる場所に出入りすることができるパスポートを手に入れたも同然、俺はスターマリオなのだ。
ウェーイ。
だがしかし、世間の目があるのでおおっぴらにはしゃぐわけにもいかない。悩ましいところである。

高校3年生の冬、推薦入試で先に合格を決めた奴らの気分が初めてわかった。

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