「村田だ!」という方の英雄ではなくて、ヒーローの方の英雄について考えた。
話題になっている『シン・ゴジラ』を近所の映画館で見てきた。
それはそれは、とてもおもしろい映画だった。
僕は常日ごろ、皮肉というのは最大の娯楽だと思っているけれど、シン・ゴジラは痛快な皮肉エンターテインメントで、ネタバレになるからアレだけれど、ラストシーンも見事な皮肉になっていて、ほんとうにおもしろい映画だった。
映画の基本的なテーマは、「謎の巨大生物 V.S. 役所」という構図で、それと現実に福島第一原子力発電所で起きている事故とを重ね合わせるのはごく一般的な見方だろう。
劇中ではお役人たちが活躍したりしなかったりしていたが、それはそれとして、僕は作品を観ながら、福島第一原子力発電所事故発生直後、当事者である東京電力や対応に当たった政府がとった行動について考えた。
事故発生当時の状況についてはたくさんの書籍が出ていて、僕もそのいくつかを読んだ。
『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』は、当時の総理大臣だった菅直人さんが書いたもので、純粋に読み物としても読みごたえがあるし、一部マスコミが伝えるイメージと、本人が語っていることとの違いを読み解くというおもしろさもある。
当時内閣官房内閣広報室内閣審議官だったTBS出身のキャスター下村健一さんの『首相官邸で働いて初めてわかったこと』も、内閣の広報担当でしかも民間登用という立場から書かれた貴重な資料だ。
また、政府、国会、民間がそれぞれまとめた調査報告書(政府事故調 中間・最終報告書、国会事故調 報告書、福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書)にも目を通した。
これらから見えてくるのは、あまりにもトホホな当事者たちの行動で、例を挙げればきりがないほど。
過酷事故の対応だから、全てうまくゆくわけではないのはもちろんだけれど、それを差し引いても、お粗末な対応が多すぎたと思う。
けれども、最近は特に、対応に当たった当事者たちをヒロイックに捉える風潮が高くなっているような気がしてならない。
当然、事故対応に当たった人たちは使命感もあっただろうし、命がけの行動をしていたのだとは思うけれども、英雄的な行動が全てだった訳ではないはずだ。
そうした失敗例やトホホな対応を、しっかりと記録しておかなければ、ヒロイズムに巻き込まれてしまい、正しく後世に伝わらないのではないかと、とても心配している。
そういう事例を、英雄主義的なストーリーとは切り離して、ここら辺できちんと見なおさなければならないのではないだろうか。