知っていることを知っているということ

「あ、雨にぬれた松ぼっくりがしぼんだままだ! まだ乾いていないんだね!」

我が家の玄関先に置かれた松ぼっくりを見て、3歳半のむすこが言った。

このコーナーには近所の公園で集めたたくさんの松ぼっくりが、並べられている。

公園に行くたびに、松ぼっくりを探しては持ち帰る。公園の生態系が崩れてしまうのではないかというくらいの松ぼっくりが集まった。

彼はここのところ、テレビ番組の『ピタゴラスイッチ』がお気に入りだ。

「アルゴリズム体操」を一日中(ほんとうに一日中である)歌い踊っているし、録画した番組を何度も観ている。

番組の中のコーナーで、松ぼっくりは水に濡れると傘を閉じ、乾くと広がるという実験をしていた。

それを観て、「自分でもやってみたい!」と玄関から松ぼっくりを持ってきて、ビンに入れて試していた。

それで、松ぼっくりが濡れると形を変えることを知っていたというわけだ。

先日の雨で濡れた松ぼっくりを見て、人間が水道の水を入れたビンに沈めなくても、勝手に降ってきた雨で傘を閉じることに気づき、いつ元に戻るのかを観察しているのだ。

外から得た知識が、単なる知識ではなく目の前で起きていることとつながり、自分が知っていることが起こっているのに気づき、「知っている」ということのよろこびを感じている。

「あ、おとうちゃん! 見て見て!」と得意げに示す様子に、数十年前の自分を重ねてしまう。

そういえば、毎日がこういう発見だった。

その度に、とてもうれしかったように思う。

いつの間にか新しいことを知ることに慣れてしまい、素直によろこぶことをどこかに置いてきてしまったような気になった。

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