- 最近、勇気を出したのはいつだったろう。
改めて問われてみると、勇気なんてそうたびたび出すものではないなと思うかもしれない。
でも、本当にそうだろうか。
たとえば、僕の小さな勇気。
それは、中華屋でラー油の小瓶をつかむときの勇気。
中華屋のラー油の瓶は、いつも決まってぬるぬるしている。
それをつかむと、僕の指先もぬるぬるしてしまう。
これからうまい餃子を食べようとするときに、指先がぬるぬるしてしまうのだ。
できればそれは避けたい。
ぬるぬるしない指で箸を握り、ぬるぬるしない指で皿をおさえ、ぬるぬるしない自分のままで餃子を食べたい。
それはささやかな願い。
けれども、ラー油を取らなければ、餃子は食べられない。
そこで僕は勇気を出して、ラー油の瓶に触れるのだ。
指先に伝わるぬるぬる。
ラー油の瓶のぬるぬるが、僕の指のぬるぬるとなる。
このぬるぬるを受け入れようとする決意。
僕の勇気。
そして時おり味わう、それほどぬるりとしていなかったときの虚しさ。
けれどもそれは、勇気があったからこそ知ることができた虚しさだ。
僕は餃子を食べるとき、ラー油と共に勇気も振り絞る。