たがが外れた話

子供ができて一番うれしいのは、外でしゃべったり歌ったりできることだ。

一般的に、特に日本において大人は公共の場でひとり言を言ったり、ましてや歌など歌ったりしてはいけないことになっている。

もちろんひとりでしゃべったり歌ったりすることがなんらかの犯罪を構成するわけではないが、我々が暮らす社会はそうしないことを求めている。

これはおそらく、みんながみんなひとりでしゃべったり歌ったりしてしまうと、気が触れた人との区別が曖昧になり、不便だからではないかと僕は想像しているが、理由はともかくそういう決まりになっている。

ところが赤ん坊連れだと、そのあたりの条件が大幅に緩和され、かなりの場面においてしゃべったり歌ったりすることが許容される。

たとえばショッピングモールで流れてくるBGMに合わせて歌ったり、館内放送につっこみを入れたり、あるいは公園で鳩に話しかけたり、桜の花びらにあいさつしたりしても、社会に許容されるのだ。

赤ん坊を抱いているだけで、それらが皆、許されてしまう。

これは、とても自由なことだ。

なにかの呪縛から解放された気分でさえある。

そう、僕にとってひとり言を言わないということは、自らを常識で呪縛していたということなのだ。

ごく幼い頃は、人前だろうがどこだろうが好き勝手にひとり言を言っていたし、自由に歌っていた。

それがいつの間にか、人の目を気にして自分にタガをはめてしまったのだろう。

けれども今は、赤ん坊に話しかける体裁でひと目を気にすることなく自由にひとり言を言える。

とても気持ちがいいし、非常にゆかいだ。

これまでいかにがまんしていたのかに気付かされた。

写真は本文とは関係のないピザトースト。

ただ、あまりに気持ちがいいので、ついつい子供がいない時もひとり言が出てしまうのが困る点だ。

朝、仕事に向かう駅までの道で〝ミーヤキャットがフラミンゴ!〟などと声に出してしまうのである。

でもこれに関しては、私もいい年のおじさんなのでもうそんなに恥ずかしくはない。

どんと来い、てなもんである。

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